深夜便には真空管ラジオが似合う

  

    深夜、目が覚めると私はラジオのスイッチに手を伸ばす。そのラジオは1936年製の真空管ラジオ。スイッチを入れて20秒くらい待つとかすかなハムの音と共にラジオ深夜便が聞こえてくる。真空管は暖まるまでに時間がかかるが、その音は柔らかく耳になじむ。グレン・ミラーやベニー・グッドマン、美空ひばりや三橋美智也、そしてテンポのゆっくりした語りにピッタリと合っている。  
 人はいつまでも最初の味覚を覚えているが、昔聞いた音のことも覚えているものだ。現代のトランジスタの無機質な音ではなく、真空管はちゃんと感情のある音色を再現してくれる。   
 ラジオの音質には、あまり注意を払わなくなったのが一般の風潮だが、ラジオの内部が大きく変わったのは1960年代の始め頃だった。それまで中心的な役割を演じていた真空管はトランジスタに変わった。その後のトランジスタの発展はコンピュータの世界を一変させたり、電子製品の形や使い方までを変えた。トランジスタラジオは電池で動き小型軽量、大きくて重くて熱が出る昔のラジオとは比較にはならなかったろう。しかし、音質の方は犠牲になった。  
 真空管は完全にこの世から消えてしまったわけではない。秋葉原へ行ってごらんなさい。これまでに世界のどこかで生産されたどんな種類の真空管でも箱入りのものが手に入る。  世の中には真空管を愛し、使い続けている人が何人もいることが分かる。アメリカでは真空管自体を始め真空管のラジオが趣味の対象としてコレクター・アイテムになっている。オーデイオ・ファンで真空管アンプしか使わない人もいる。
 深夜便は今夜も昔の音を運んでくる。ラジオは情報を伝えてくれればいいと割り切る人はそれでいいのだが、少なくとも深夜便を楽しもうという人は、そのもう少し先のものーー過ぎ去った日々の感慨や感触ーーまでを期待しているのではないだろうか?
 今夜も、ほのかに照明される選局パネルを眺めながら、心やさしくて、なつかしい音色を聞いてみようと思う。 
(ラジオ深夜便 1999年5・6月号) 

  

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